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小鹿田焼(おんたやき)

 江戸時代中期より300年あまり、小鹿田焼の技術は、一子相伝で承継されてきた。福岡県と大分県の県境の大分県日田市、皿山の里だ。  1931年(昭和6年)民藝運動の柳宗悦がこの地を訪れ、小鹿田焼を評価したこと、イギリスの陶芸家バーナードリーチが陶芸研究のため、1954年(昭和29年)、1964年(昭和39年)この地に滞在し作陶したこともあり、日本のみならず世界的に知られることとなった。  2019年10月現在、窯元は9軒ある。それぞれの窯元は弟子をとらず、一子相伝、門外不出の技術を伝え、1995年(平成7年)工芸技術として重要無形文化財に指定された。登窯で焼かれ、飛び鉋、刷毛目、櫛描きなどの道具で描かれた独特の文様、釉薬による発色は日常使いの器として、食事の時間に愉しみを添えてくれる。  小鹿田焼の専門店が豊島区にある。現在のすべての窯元から仕入れている、そのような店は他にはないようだ。ここでは、自分の好みにあった窯元の器を手に入れることができる。 西武池袋線「東長崎」駅(池袋から2つ目)をおりると、昔からの商店街がひろがる、八百屋があり、魚屋があり、買い物籠を片手に、ちょっと買い物へという感覚で、魚、野菜を買いに、そんな商店街のローケーションに店を構える。  昭和の初期から戦前にかけて、豊島区の要町、長崎、千早地域には、絵や彫刻を勉強する学生向けに、アトリエ付き借家が数多く建てられ、アトリエ村と呼ばれていた。15畳程度のアトリエに居住空間は3畳~4畳半、風呂なしの借家群が街のあちこちに見られた。池袋の街は、アトリエ村の芸術家、新興キネマの映画人、立教大の学生の溜まり場となっていて、「池袋モンパルナス」と称されていた。池袋は家賃が安い、芸術の杜・上野の山を「モンマルトルの丘」に喩えると、池袋は、パリでも同様に家賃の安かった「モンパルナス」という塩梅だったようだ。  今の長崎にはアトリエ村の面影はないが、長崎十字会商店街にあるビルの1階を改装した小鹿田焼の専門店、アトリエ村のような集積も面白くなる。立教通りを「千早1丁目」交差点を西に進むこと、池袋から直線距離にして2km強、のんびり散歩もまた楽し哉。


小鹿田焼「ソノモノ」 東京都豊島区長崎4-25-7





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