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都心の閑静

 400年余りの歴史を有し、約40,000㎡の広い池泉回遊式の日本庭園、赤坂見附から弁慶橋を渡れば都心の喧騒を離れ静かな時間が流れている。

 1962年(昭和37年)日本IOCと政府は、東京オリンピックの来日外国人を約3万人と予想し、受け入れ施設の確保を財界に打診した際、大谷米太郎氏が受諾しホテル建設に着手、2年後の1964年8月31日竣工した。  17階建て客室数1085室のホテルを1年半で完成させる突貫工事のため、ユニットバスや高性能カーテンウォールなど合理的な工法が採用された。最上階の回転ラウンジの直径45mの回転機構は、戦艦大和主砲塔の回転技術を応用した。

 この地は江戸時代初期は加藤清正公の下屋敷であり、その後井伊家の中屋敷として使われた。その後、かつての宮家のひとつである伏見宮邸宅となった。戦後、伏見宮家がこの地を手放す時、外国人の手に渡ろうとしたが、大谷米太郎氏が「この由緒ある土地を外国人に売り渡すのは惜しい」と、自ら買取り自邸とした。1964年の東京オリンピック以降は、日本庭園とともに、ホテルニューオータニとして今に至っている。

 江戸、都市として大きく発展した江戸時代、前回の東京オリンピックでは町名改編が行われ、町の由来が分かり難くなり、運河の上には高速道路が被せられた。スクラップ&スプロールして拡大してきた都市だけど、いまでも、江戸の香りが街のあちこちに残っている、そこが江戸東京の魅力。







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