検索
  • aandzhouse

井政

歴史の教科書にあったけれど、正確に知らないことが多い。

時代は平安の頃、平将門の乱がおこり、朝敵となった将門は討伐された。首は胴より切り離され、京の都で首級され、晒首に、無念、怨念、首は胴を求めて京の都より故郷の関東に飛んできた、飛んできた先が大手町、そしてそこで首塚として将門が祀られている。以降、首塚に開発の手をいれると決まって災いがおき、将門の怨念を恐れて、開発は断念されてきた。周辺のビルは首塚を見下ろす側に窓がないとか、オフィスの中で首塚側にお尻を見せるデスクの配置は災いがおこるとか多くの都市伝説があるという。

ところで、家康が江戸城の築城にあたり、鎌倉より材木職人が神田に集められた、その界隈を神田鎌倉町と言った、今はその町名はないが、鎌倉橋が日本橋川に懸かっている。

さて、神田明神には平将門が祀られている、明治に祀神として外されたが、材木商の遠藤家の活動により昭和59年に祀神として復権した。神田明神の氏子のなかで、神田鎌倉町は首塚に最も近く、古くからこの地で商売をしてきた遠藤家は将門を守ってきたという背景がある。

遠藤家は、明治維新以降代々の当主が井筒屋政蔵の名を継ぎ、屋号を井政、建物が神田明神から宮本公園に抜けるところにある。千代田区の有形文化財となっている。

街をあるいていると、ふと目にする歴史の名残り、歴史を紐解くと、学校では教えてくれない歴史ある。

日本の歴史をちゃんと捉えなおすと、結構教えられてきたことの間違いに気づく、そういえば、ことしは日本書紀1300年の年だ。

今日は、神田明神でコロナ災いの退散祈願!



5回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示